【執筆済】盲目の国【ブックマンの話】

【盲目の国】

 

1本の平坦な道を、1台の赤い車が走っていました。

運転席に座るのは、身なりの良さそうな男です。黒の上下に、首元までボタンのあるシャツを着ています。ただ1点だけ、普通の男と異なる点がありました。それは頭です。彼の頭は、人の頭部と同じくらいの大きさの本でした。黒革の表紙はしっとりと閉じたまま、風に煽られることもなく、彼の頭に鎮座しています。

「ブックマン、次の国はどんな国だ?」

助手席には小柄な少年が座っていました。燃えるような赤毛に、輝く黄金の瞳を持つ少年でした。正確には、助手席側の窓を開け、窓辺に膝をつきながら、過ぎ行く景色を退屈そうに眺めています。

ブックマンと呼ばれた男は、「あまり身を乗り出すと危ないですよ」と少年に忠告しました。

「この一本道を走り始めて、もう三日だ。景色にも飽きてきた」

少年はぷっくりと頬を膨らませ、不満げな声をあげました。

「次の国は、もうすぐ見えますよ。その国の人は、旅人にも親切で、優しいそうです。とても居心地が良いと聞いています」

「人間に親切なんでしょ?人外にはどうかな」

「どうなんでしょう。楽しみですね、ストア」

嫌味のつもりで言ったのに、と、ストア少年は呆れたように呟きました。

やがて、男と少年を乗せた車は、道の先にある大きな壁を見つけました。

「ほら、ストア。城壁が見えてきましたよ」

「………!」

ブックマンの言葉が聞こえるや否や、すっかり退屈し、眠りこけていたストアが、勢いよく起き上がりました。

「変な音がする」

「音、ですか?」

ブックマンも耳を澄ましてみると、かすかに楽しげな音楽が聞こえてきます。

「お祭りでしょうか?」

「音楽だけじゃない。パチパチ叩く音がする。あんたが持ってるステックで、石畳を叩いているような」

キョロキョロと辺りを見回すストアに、ブックマンは言いました。

「なに、入ってみれば分かることです」

ブックマンは車を降りると、ステックを片手に、城壁の方へ歩いていきました。城壁にはひとつだけガラス窓がついていました。上半分は黒いカーテンに覆われて、その向こうに制服を着た人物が見えました。

「こんにちは、あなたはもしや、入国を希望する旅人さんですか?」

ブックマンが話しかけるよりも先に、窓の向こうの人物が声をあげました。年若い女性のようです。

「こんにちは、仰る通りの旅人です。入国を希望します。滞在は三日程度、つまり七十二時間以内には出立します」

「俺もいる」

いつのまにか足元にいたストアが、窓辺にむかって声をはりあげました。

「旅人さん…成人男性がおひとりと、男の子がおひとりですね。私はこの国の入国審査官です。ところで旅人さんは、もしかしてステックをお持ちですか?」

「はい、持っています」

「あなたは目が見えていらっしゃらないのでしょうか?」

「……失礼、レディ。私の姿は、そちらからご覧になっていますか?」

「いいえ。この国では、国民の全てが等しく、目隠しをして生活しているのです」

そう言うと、入国審査官は少しだけガラス窓のカーテンをめくり、右半分の顔を見せました。彼女の右目は、黒い布で目隠しされていました。

「ようこそ、我が国へ。我々はあなた方を歓迎します」

 

「あんたみたいなのが、たくさんいるな」

入国審査を済ませ、最初にストアが言いました。道行く人全てが、目元を黒い布で覆っています。国全体から、パチパチと、地面を棒で叩く音がします。

「ストア、私は彼らのようにステックがなくても外を歩けますし、本の頭ではあるけれど、光を見ることもできますよ」

あてもなく車をゆっくり走らせながら、ブックマンとストアは国を見学しました。国中のいたるところに花が咲き、優しい香りが漂っていました。

「音楽は、あちこちに設置したスピーカーから聞こえてくるようですね」

「すぴーかー?」

「音楽を聴かせると、同時に音楽を諳んじてくれる機械のことですよ」

安くて車を停められる宿を取ると、夕食の時間になりました。宿の近くにあるレストランで食事をしていると、ひとりの男に話しかけられました。男は、やはり黒い布で目を覆い、白いステックを持っていました。

「こんばんは、旅人さん。この国はいかがですか。あと、明日のご予定は?」

「花の香りと、音楽に満ちた素敵な国ですね。明日は、買い物と、この国の歴史が分かる博物館や図書館があれば、訪れてみたいなと」

ブックマンの回答に、男は満足そうに頷きました。

「旅人さん、あなたは知りたいのではないですか。なぜ、この国では国民全員が目隠しをしているのかと」

「それはもう、ぜひに」

ブックマンの言葉に、男はニマリと口元で笑いました。

「そうでしょう!そうでしょう!僕でよければお話ししますよ。今夜はもう遅いから、明日の朝、中央広場のカフェテリア……あ、一軒しかないから大丈夫。そこで待ち合わせとしましょう。カフェのパンケーキはそれはもう絶品で」

「分かりました。それでは、明日の朝に」

男が立ち去ると、ストアは不思議そうに首を傾げました。

「なんであいつは、あんなに嬉しそうなんだ?」

「目隠しすることに、誇りを抱いているから。あるいは……」

「あるいは?」

「流れものである旅人に、何か頼みごとがあるから、ですかね。さて一体どんな秘密が隠されているのでしょうか?楽しみですね」

黒革の表紙からは何の感情も読み取れませんが、ブックマンの声は弾むようでした。

「俺も楽しみ」

「パンケーキが、ですか?」

「それはもう、ぜひに」

 

翌朝。清潔なベッドで目を覚ましたブックマンは、シャワーを浴びて、身なりをきちんと整えました。

それから、ベッドの横で丸くなって眠るストアを揺り起こしました。

「さぁ、出かけましょう」

二人が国の中央にある広場に出ると、確かにカフェテリアは一軒だけでした。そして、中にいるお客もひとりだけでした。

「やぁ、旅人さん。昨晩はどうも。マスター!このお二人にとびっきりのパンケーキを!さぁさぁ、早く座ってください。昨日の夜から僕は話したくて話したくてウズウズしてたんだ!」

「私も楽しみにしておりました。それで、一体どんな理由で、みなさん目を隠していらっしゃるのです?」

「旅人さんは、『人は見た目で8割決まる』という言葉を聞いたことがありますか?」

男の言葉に、ストアは首を傾げ、ブックマンは首を縦に振りました。

「書物で見たことがあります。人間は、視覚から得る情報が大半であると。それ故に、その人の印象は、最初に会った時の印象、特に見た目によって固定されてしまう、と」

「その通りです。人間は完璧ではありません。見たままを受け入れてしまいがちです。しかし、人間は見た目が全てではない!だから私たちは、純粋なその人自身を見極めるために、視界を遮断することにしたのです」

「なるほど、興味深い考えです」

ブックマンは感心したように言いました。

「なるほどー」

ストアは、感心した時のセリフを言いました。

「ですが、ミスター。見た目もまた、その人自身に含まれるのではないですか?」

ブックマンの言葉に、男は笑顔を引っ込めて眉を潜めました。パンケーキとコーヒーが運ばれてくるのをじっと待ち、やがて重い口を開きました。
「…………旅人さん、私には愛する人がいます。彼女と、結婚しようと思っているのです。私は彼女を、どんな見た目でもまるごと愛する自信があります。彼女のことを全て知りたいと思っています」

「だったら、その目隠しを取っちまえばいいじゃんか」

「とんでもない!この国で目隠しを取ることは、最も重い罪に問われます。見た目で人を非難した日には、銃殺刑もあるのですよ!いや、正確にはひとりでいる間と、家族なら、目隠しを取っても問題ないのですが……」

「なるほど。その法律は旅人には適用されないのですね。そして、せっかく旅人が来たのだから、彼女の容姿を見て自分に教えてほしいと」

ブックマンの言葉に、男は頭を下げました。

「旅人さん、どうかお願いします。彼女がどんな顔をしているのか、詳細に教えて欲しいのです。もちろん、お礼はします。携帯食料や、車の燃料をお渡しできるでしょう」

男の言葉に、ブックマンはしばし考え込み、

「固形燃料もお願いします」

 

男の恋人は、カフェの向かいで働く花屋の娘でした。たっぷりパンケーキを堪能した後(堪能したのはもっぱらストアですが)、2人は花屋を訪れました。

花屋の軒先には、色鮮やかな花がたくさん並んでいました。町中に溢れる優しい香りの元は、どうやらこの店で売られている花のようです。

「うまそう」

「パンケーキ、私の分まで食べたでしょう。それ以上食べると、お腹を壊しますよ」

ブックマンの忠告に、ストアは渋々と花から離れました。その時、店の奥から、コツコツという音が聞こえてきました。ステックが地面を叩く音です。

「いらっしゃいませ、旅人さん。この国を訪れた思い出に、お花はいかがですか?」

現れたのは若い女性でした。彼女は両目だけではなく、頭全体に包帯を巻きつけていました。

「失礼、レディ。なぜ旅人だと?」

「国民は皆、花の香りがしますから。見えない分、香りと音でオシャレを楽しむのですよ。おふたりは、なんといいますか……」

「くさいのか?」

「ふふふ。いいえ、異国の香りがします。古い本の香りと、深い森の香りが」

「あなたは、他の方と違うのですね」

ブックマンの言葉に、花屋の女性は少しだけ息を呑みました。

「彼は、なんと?」

「あなたのことを見て、教えてほしいと」

女性は周囲を伺うように首を横に振ると、頭の後ろに手をやって、包帯をするりするりとほどき始めました。やがて、包帯の下にあるはずの頰を見たとき、今度はブックマンが息を呑みました。

「火傷、ですか」

彼女は、顔の半分が焼け爛れていました。頬骨のあたりは肉が溶け削げ、炎を灯した後の蝋燭のようです。左端の唇はなくなり、白い歯が光を反射しています。前髪も生えてこないらしく、赤黒い地肌が見えました。

「なんだっけ、ゾンぶへっ」

ストアが口を開きましたが、ブックマンにステックで叩かれて舌を噛みました。

「いいのよ。ホラー小説に出てくるリビングデッドみたいでしょう。私も鏡を見るたびに悲鳴をあげてしまうわ」

気を悪くした風もなく、女性はストアに声をかけました。ブックマンはストアの非礼を詫び、よければ経緯を教えてほしいと述べました。

「私は元々、学校で化学を教えていました。ある日、生徒が薬品を床にこぼしてしまいました。溢れた薬品を片付けていたとき、机の上に置いてあった瓶を、ひっくり返して浴びてしまったのです。おかげて、頭から背中から肩から、まだらに爛れています。あまりに恐ろしい容姿で、鏡を見るたびに叫んでいました。外に出るのが恐ろしく、家の中で引きこもっておりました。暗い日々を1年ほど過ごし、やがて目隠しの法律ができました」

語り終わった頃に、彼女の頭からやっと包帯が取り払われました。翡翠色の美しい瞳は、穏やかに微笑んでいます。

「私は、この国の法律に救われています。愛する人に、こんな恐ろしい姿を見せなくて済むのですから」

 

 

 

花屋の女性と別れ、再びカフェに戻ると男が待っていました。

「お疲れ様!どうだった?彼女はどんな顔だった?」

「とても素敵な女性でしたよ。あなたを愛していると仰っていました。それから、ひとつ、とても良いことに気がつきました」

ブックマンはカフェの店員に聞こえないよう、こっそりと言いました。男は驚いたように一度顔を上げ、その後はブックマンの話を熱心に聞きました。

「……旅人さん、あんたはなんてずる賢いんだ!思い立ったら吉日、早速行こう。ああ、胸が高鳴る!ありがとう、これはお礼だ!」

「お役に立てたようで、よかった。健闘を祈っていますよ」

男と別れ、宿に戻る道すがら、ストアはブックマンに尋ねました。

「なんで正直に教えてやらないんだ?ゾンビみたいだったって」

「人間は、信じたいものしか信じないものです」

携帯食料や固形燃料のたくさん入った紙袋を抱えながら、ブックマンは言いました。

「本当のことを言えば、嘘つき呼ばわりされて報酬をくれないかもしれません。それに……」

「それに?」

「本当に愛しているなら、結婚してから好きなだけ目隠しを取ればよいと思いませんか?」

宿の前に停めた車へ荷物を積み終わった頃、男の悲鳴が聞こえましたが、ふたりは気にせず宿に入りました。

 

ブックマンとストアが入国してから3日目の朝。彼らは朝早く目を覚まし、太陽が登り切る前に、赤い車へ乗り込みました。

「旅人さん!」

荷物を全て載せ終わった頃、昨日の花屋の女性が、ブックマン達の方へ歩いてくるのが見えました。

「これはこれは、昨日はどうも」

白いステックで地面を叩きながら、彼女はゆっくり慎重に歩いてきました。特に急いでいるわけでもなく、特に勿体つけているわけでもない、普通の歩き方でした。ブックマンは、彼女に「よろしければ、お手を」と手を差し伸べ、女性はステックを持たない方の手を、おずおずと前に掲げました。

「なに、復讐にでも来たわけ?」

ストアは今にも噛みつきそうな勢いですが、ブックマンも花屋の女性もあまりに落ち着いていたので、噛みつくことはやめにしました。

「復讐なんて。私は、旅人さんに感謝したくて来たのです」

「感謝、ですか?」

「俺たちが、あんたの恋人をけしかけたかもしれないのに?」

花屋の女性は、穏やかに首を振りました。

「私は、あやうく『人でなし』と結婚するところでしたから」

彼女の話はこうでした。この国では、人を見た目で判断するような者は『人でなし』と呼ぶのです。『人でなし』は死罪と定められています。

「でもあんた、醜い姿を見せなくて済むって喜んでたじゃん。それって、恋人にゾンビって言われたくなかったからじゃないの?」

「私は……同情されると思ったのです」

「どーじょー?」

相手の境遇に共感し、一緒に心を痛めることだよと、ブックマンは言いました。それから「失礼、レディ。続けて」と、彼女に話を促しました。彼女は気にしないでと言うように首を振り、再び口を開きました。

「彼は優しいから、私に同情した上で、延々と私に尽くそうとしてしまうと思ったのです。私にとって、それは蔑まれるよりは嬉しいことです。でも、彼の重荷になるのは辛いことです。だから私は、この姿を見て欲しくなかった」

「ところが、実際の彼は、そんな素敵な人物ではなかったと」

花屋の女性は、それはそれは晴れやかそうな声で言いました。

「人のことを差別するような人は、人として扱う価値はありません」

 

 

「なんか、人外以前の問題だったなぁ」

出国の手続きを済ませて、再び1本の平坦な道を、ブックマンの車は走り始めました。

「みんな目隠ししてるなら、言動さえ気をつけていれば目隠しを外してもバレることはない。てことは、あの女も実は相手の男の姿、見てるんじゃねーの?」

「さぁ?どうでしょうね。ただひとつ、何かコメントできるとすれば……」

「コメントできるとすれば?」

「あれだけ、本音と建前がはっきりした国は、私も初めてです」